お盆と七夕の意外な関係

分かっているようで、いない様な話

余りに分かりきった年中行事にこだわってみました

ん、お盆ですが。

子供の頃には、和菓子と🍡とお茶と🍵、正座にお坊さん。

長じて、働くようになってからは,長期休暇に帰省ドライブ。

時折書物を読んでは、物知りげに話せるネタとしてツキアッテ

来た様に思います。

語ろうとすると,宗教的背景を持った物語へ展開できるので、

一見、深〜いお話に装飾できそうで、というわけではありません

が、もはやだれも疑いもしない、年中行事のバックボーンを、時

には、マジに切開してみようと思います。

 

仏教説話としてのお盆の由来

話は飛鳥時代ぐらいまで戻りますが、ときの僧侶たちによって騙られた、

中国産のお経の中にある、盂蘭盆会(うらぼんえ)というお話です。

釈迦の高僧である目連の母🤱が,死後地獄で餓鬼道に落ちていたそうで、

その母を救う手段を,目連が釈迦に教えを請うと、

『高僧(三宝僧)たちに食事など供物を捧げなさい』と言う教え

だったそうで、

そのとうりすると母が餓鬼道から救われたというお話ですが、

供物を捧げて供養した日が、旧暦7月15日だったことから、

このお話が転じて、先祖の供養の為に毎年の旧暦7月15日僧侶に供物を捧げる行事

となったようです。

以上は飛鳥時代ぐらいから、それを信じた公家、貴族の間では

先祖を救うための年中行事となり広まり。

結果、時の僧侶たちの生活の糧の一部となった。

ということはいうまでもありません。

 

庶民の習俗、習慣は仏教による宗教行事へとすり替えられた

時は移り江戸時代、庶民は寺社(檀家)制度の中に組み込まれ、

お寺は思相統制、住民管理の幕府の権力機関の末端の役割を担っ

て行きます。

そうなんですよ、増えたお寺と坊さんを支える対象、又は布教の対象は、

貴族、武家から庶民迄が担うことになります。

因みに、当時の圧倒的多数は、百姓だったわけですが、

日本の百姓文化の中には、仏教説話とは独立し、独自の世界観で昔から

旧暦7月15日、田の神としての祖霊を迎え供養する風習がありましたが、

いつの間にか仏教行事へとすり替わっていきます。

 

七夕は織姫、牽牛の出会いの夜ではない

ところでこの百姓の行事、田の神≒祖霊への供養は、

あの世から帰ってくる霊に捧げられるために棚幡(たなばた)

と呼ばれる祖霊への供物を置く棚が使われていましたが。

これが転じて七夕(たなばた)となります。

七夕は旧暦7月15日の先祖供養=お盆の初日であったと考えられて

います。

この説によると、織り姫、牽牛の出会いで始まる七夕説は、

中国文化に影響された公家、貴族の類いの行事であるということになるそうですが、

民衆は上流階級に憧れますから、

織り姫、牽牛の出会い説が流布されて今日に至っています。

 

これからのお盆

明治以降、大衆の宗教行事の担い手としての、

寺院の廃仏毀釈に代表される衰退。

更には先の戦後の農村の衰退による、

田の神々の居場所の喪失により、

祖霊との交流の機会は減少していくように思えますが、

日本の自然風土によって形成された大衆の心底に潜む、

祖霊と神々への畏敬と信仰は消える筈もなく、

これからも新たな形と内容を変え現象していくことだろうとおもいます。